「今日は随分涼しくてよござんす」
「ああ奥さん。もうすつかり秋ですねえ」
「今日もまた旧仮名遣ひですか。まじな話、これすつげえ疲れるんですけど」
「奥さん、それは料簡違。何処が疲れるつて言ふんです。大体、真面目な話をしたり大きな真実について語る時は歴史的仮名遣ひが有効だつてのはご存知の筈ですが」
「つて言ふか、小さい『つ』を大きく書いてゐるだけぢやないですか。旧仮名、時々間違つてるし」
「奥さん、今日の話は難解だから耳の穴かつぽじつて良く聞いて下さいよ」
「一体何なんです」
「この紙を見て下さい」
友人…朋友
来る…来
友人が来る…朋友来。
友人が来た(完了)…朋友来了。
「中国語ですね」
「さうです。この段階は何ら問題は無いんだ。
『朋友来了』が『月のお客さんが来た(生理が始まつた)』を意味することが有りますが、ま、それは良いとしませう」
雨…雨
降る…下
雨が降る…×雨下。 ◎下雨。
「さあ、此処ですよ。何故『雨下』ではいけないかと言ふと中国人の頭の中はかうなつてゐます。『雨といふものが空に有るのではない。地表付近まで落ちて来る事によつて雨といふものが現れるのである。従つて下雨である』と。これが所謂出現文といふ奴です」
「まあ、仰しやる通り、空に有るものを雨とは言はないですよね。空に有るのは雲」
手紙…信
友人から手紙が来る…×従朋友信来。◎朋友給我来信。起きる…出
事故が起きる…×事故出。◎出事故。
「これらも出現文です。
手紙といふものが予め存在するのではない。私の処に来たことにより手紙が出現するのです。事故といふものが前もつて有る訳ではない。起きた事により事故が出現するのです。言ひ替れば『起きなければ事故は存在しない』のです」
「何か怖い。理屈では分るんですけど、中国人の頭の中は一体どうなつてゐるんでせう」
「それは良く分りませんが、中国語は或る意味スジの通つた言葉だとも言へさうですね。出現文に該当する現象は出現文で認識する。中国語を話すといふ事はさういふ事なんです」
「でもでもお。良く良く考へると日本でも『発覚しない犯罪は犯罪ではない』『ニウスといふものが最初から有る訳ではない。報道される事によつて初めてニウスに成るのだ』などと言ひますよ」
「さうですよ。『作られただけでは俳句(若しくは名句)ではない。選句されることによつて俳句(若しくは名句)に成るのだ』という言ひ回しも有るぢやないですか。
要するに、これらのテエゼを束ねてエレガントに表現したのが『出現文』といふ三文字なんです」
「それで、出現文と韓国とどういふ関係が有るつて言ふんです」
「其処だ、奥さん。
日韓関係にまつはる現象の多くは所謂『出現文』であるつてのが僕の主張なんですがね。ぢやあ何処から出現するのかつて事で僕なりにリサアチをかけてみた。
すると奥さん。殆どは日本の国会図書館から出現してゐるぢやあありませんか。韓国人が東京に出掛けて行つて東京見物もしないで朝から晩まで図書館に閉ぢ篭り昔の本や資料の請求をしてゐるらしい。その結果様々なものが出現するといふ仕組なんですね。そもそも○○問題といふ類のものはですね、おや奥さん、どうしました。考へ込んで」
「いや、ちよつと気になるんですけどね。『友人が来た』は『朋友来了』で好いと思ふんですが、『生理が始まつた』の意味の時は出現文を使ふべきぢやないでせうか」
[2002-08]