よく理解できないことがある。
ソウルにいる日本人が、たとえば書道や囲碁を習うのに、いちいち日本語が出来る韓国人の先生について習うことである。
書道、囲碁、テニスなどを習うのに、言葉が必要だろうか。
先生がするのを見て、その通りにすればよいのではないのか。
先生が指摘することがわからないと困る、もしくは、先生の言うことが聞き取れないと学習速度が遅れる、という考えがあるかもしれない。
しかし、言葉が通じなくてわからないのであれば、その指摘事項がそもそもその人にはレベルが高すぎる指摘なのである。
それに第一、言葉が完璧にわかった上で韓国人から何かを習うのは面白くない。
面白さに欠ける。
言葉がほとんどわからないのに先生の言わんとすることがわかった時、<私の選んだ趣味は言語の壁を越えるものなのだ♪>と思えて楽しいではないだろうか。
趣味以外の業務関係についても言える問題点として、次のことがある。
すなわち、<日本語が出来る人(業者)は割高、もしくは能力が劣る>ということである。
在韓の日本企業を相手にソフト関係の業務をしていたコンピュータ会社があったのだが、その会社の人間のコンピュータ知識は非専門家の私が見ても恐ろしく低いレベルであった。
韓国に来て、この会社とだけ付き合っているとわからないかもしれないが、例えば<ハングルとコンピュータ>(当時)の人間と比べると、知識量/問題解決力において顕著な差があった。
<ハングルとコンピュータ>(当時)の社員の仕事ぶりを見た時、日本に連れて帰ろうかと思ったぐらい。
話しが通じるのは早いし、キーボードをバシャッと打つと、画面全体に文字が打たれているという具合であった。
ちなみに、この会社(日本企業相手の会社)の人間は日本語が出来るからと言って、文字コード関係の処理について強いわけでもない。
単に、<日本語が通じる>という一点において商売が成立していた。
このあたりは弁護士などについても言えることであって、日本語の出来る弁護士は割高である。
日本の法律にも通じているから割高であるのではなく、日本語が話せるというだけで割高になっている 。
もっとも、弁護士/医者関係のところに行く時は、<相当に言葉が通じないとヤヴァイ>というのは確かである。
この点は、書道やテニスと事情を異にする。
結論的には、<日本人というのは、何を考えているのか理解に苦しむ部分がある。しかし、インデントを駆使して書いた日本語の文章は論理構造が理解しやすい。>ということになる。
それでよろしいか?
[2002-05]