ひょんなことから最近、李御寧先生の「縮み志向の日本人 その後」(キリンウォン、1994年)という本を読むことになりました。7年前の本ですから、チョット古いですね。表紙にはサブタイトルとして「‘一杯のかけそば’の七つの意味」と書いてあります。
縮み先生(1)がこの本でどんなことを書いているかというと、まずは「一杯のかけそば」のストーリー紹介とその分析。いわゆる日本人論を展開します。それから、縮み先生の著書「縮み志向の日本人」への批判に対する反論。さらに、俳句とは何か、俳句を通して知る日本人。これ以外に、「司馬遼太郎との対話」コーナーなどもあります。
俳句の章では、まずフランスの大学での面白いエピソードを紹介。フランスの大学で、先生がある俳句をとりあげてその説明をしていたら、学生が「先生、タイトルはもうわかりましたから本文を教えて下さい」と言った話し。(学生がタイトルだと思っていたものが実は俳句であった。) この話しから軽く入って<俳句と日本人>について述べていきます。
うーむ。述べている内容はいいんだけど、日本の俳句紹介っていうと何故みんな正岡子規や松尾芭蕉(2)しか出して来ないんだろ。最近の句(と言っても、ここではレンジが広くて<戦後の句>程度の意味)にものけぞってしまうものはたくさんあるのに(3)。例えば五句紹介するなら、昔の句を二句、最近の句を三句、のようなバランスにして欲しいと思ったことでした(4)。
「一杯のかけそば」関連では、韓国の某コラムニストが述べていたこと、というところが面白かったです。
- 韓国人の場合、外食が出来ない状況なら最初から行かないであろう。
- 韓国のうどん屋なら、一杯のうどんを三人で食べる客は歓迎しないか、または可哀想に思った場合は三人分を出して金を受け取らないかであろう。…恐るべき日本人である。
そうなんです。「一杯のかけそば」は韓国では成立しえないと思います。三人で来てうどんを一杯だけ注文する客がいたら、お店の人が徹底的に馬鹿にするか、可哀想に思ってうどんを3杯出しちゃうか、どちらかの展開しかありえないでしょう(5)。よく言われていることなのかも知れませんが、日本人が韓国人を理解することより、韓国人が日本人を理解することの方が数倍は難しいと思います。
注釈.
[2001-03]