俳句を始めて2年ぐらいたっても「どうやって俳句を作ればわからない」という人がいるようです。
ここに俳句作りの要領、コツを書いておきますので参考にして下さい。
俳句作りは、実はかなりのところまで理詰めで行けるのです。
例えば季語「チューリップ」で句を作るとします。
チューリップをじっくり観察して、チューリップがどのような花であるかを描写します。
こんな句しか出来ません。対象がきちんと観察できず、苦し紛れに「笑ってる」や「おしゃまさん」などのお手軽な擬人化に流れてしまっています。
これはそもそも、チューリップという素材だけで句を作る(一物仕立て)ことに無理があるのです。
これらの句が既にあるわけで、チューリップに関して「すごいことを発見したぞ!」などと思って句を作っても同じような内容の句(類句)は既に存在しているのです。
なので、チューリップ単独で句を作ることは諦めて、他のものを配置することにします(取り合わせ)。
例えば、チューリップ園に行ったら、チューリップだけを見ず、掃除をしているおばさん、遊んでいる子供たちなどを観察します。
駅にチューリップがあったら、駅員さんが何をしているかをよく見ます。
その結果、例えば、次のような句が出来ます。
取り合わせる事物はチューリップと関係ない事物にします。いつまでもチューリップの近くでウロウロしないのが上手に作るコツです。
「嵩史メソッド」はソウル俳句会の故・山口嵩史さんが提唱した方法(命名:杉山)です。
嵩史さんは「俳句を作るのは簡単だよ。なにか七五か五七のフレーズを作って、それから適当な季語をくっつけりゃいいんだよ」と韓国人大学生に言って、
という句を作ってみせたのでした。この句は後に
と推敲され、第六句集に掲載されました。
この「嵩史メソッド」のいい点は、句を作るときに季語に引きずられないことです。
例えば、「秋の朝という季語で句を作ってみましょう」というと、初心者は次のような句を作ります。
上の句は上五中七で言っていることが「秋の朝」に近いことなので、季語「秋の朝」の効きが弱くなっています。 下の句は更に問題のある句で、この句は「秋になって食欲が旺盛になったのでグルメツアーに申し込みました」という理屈で作られています。当然、季語の効きが弱くなっています。
このように、初心者は季語につかまってしまい、季語から大胆にワープできないという傾向があるので、季語を決めずにまず非季語部分の「七五」「五七」の方からから作るという「嵩史メソッド」はなかなか有力な方法だと思います。(特に、吟行ではなく当季雑詠の場合)
では、「嵩史メソッド」で「七五」「五七」では何をどう書けばよいのか、ということですが、それは「何でもあり」です。
ただし、注意すべきこと(コツ)があります。
前出の「七五」「五七」に季語をつけてみましょう。
どれも有名な句です。
具体的なことを言った時には抽象的な季語を、抽象的なことを言った時は具体的な季語(モノ)を持ってくるといいと思います。
「焼きたてのパンとコーヒー」の時は、七五が具体的な「物」だったので、季語は目に見えないもの(秋の朝)を持ってきたわけですね。「焼きたてのパンとコーヒー秋の朝」は「秋の朝」効果でパンの表面がよく見えてきます。
ちなみに、この場合は「焼きたてのパンとコーヒー」で切れているので、下五に「九月かな」のような切れ字があるものを持ってくることは出来ません。「九月かな」で締めたいのなら「焼きたてのパンを並べる九月かな」のようにします。
「七五」「五七」部分に最初から季語が入っている場合があります。
私の句の場合だと、
などがそうでした。
この場合は、季語を足すことは出来ないので、何かで水増しして五七五にします。
藤田湘子の『実作俳句入門』という本がよさそうです。
この本の書評ページ
では、藤田湘子の次のような言葉(「」内)を紹介しています。
俳句はリズムの詩なのであって、意味で作ろうとしてはならないということです。意味で作ろうとすると、俳句の中に「倫理感、道徳感や教訓、駄洒落、穿ち、謎解き、理屈、俗悪な風流ぶり、浪花節的人情、小主観、低劣な擬人法といったものがはいりこんでしまうからです」。
著者は「発想にも言葉にも、背のびをしてことさらのポーズを示そうとしないことが大切」だと言っております。「俳句は自分が使いこなした言葉で詠うのが一番いい」のであって、歯の浮くような美辞麗句で自分を美化し気どったポーズをとろうとすると、かえってうす気味悪いことになるのであって、「私はこうしたポーズのない詠い方ができるようになったとき、その作者の初学期は終ったと判定しています」
[2010-08]