◆ 2月27日(月)-2
中華料理屋でチャンポンを注文するとスープが真っ赤なものが出てくる。不味いものではないんだけど…。
この時期は「牡蠣ちゃんぽん」がおススメで、これは唐辛子を全く使わずほぼ牡蠣のうまみと塩だけで味を作っていて美しい。6,000ウォンって値段は高すぎだよなあ。
◆ 2月27日(月)
うわあ。「ひょっとして」と思って、前に住んでいた所のクリーニング屋に行ったら冬物のセーター/カーディガンが6枚もあったよ。引越しした時に、トラックが道を曲がる時に落としたのは何ですかで答えはスピードを落としたんだけど、その時にセーターの箱も落としたんだと思っていた。
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◆ 2月26日(日)
トリノオリンピックがずいぶん盛り下がっている。
夏季については東京五輪ですでに終わっていて、冬季は長野で終わっていたということなのだろうか。
まあ盛り上がり盛り下がり以前に、NHKワールドではオリンピックの画面がすぐに静止画になってしまうのだが。
◆ 2月24日(金)
この冬に日本から韓国に遊びに来た人は映画「王の男」を観たことと思います。それで、その中の盲人ごっこ「俺はここにいて、お前はそこにいて」を帰りの仁川空港の待合室で友達同士でやっているんじゃないかな、と。でもその部分は盗作騒ぎが起きてるんだよ、と私は言いたいわけでして。
◆ 2月22日(水)
風邪をひいたので病院に行って来た。病院までのタクシー代8,000ウォン。診察費3,000、薬1,500ウォン。
風邪ひいて病院に行って来たんだよ、とコーヒーショップのおばさんに言ったら、「コーヒー飲んでちゃ駄目よ。生姜茶飲みなさいよ」と生姜茶をサービスしてくれた。
◆ 2月21日(火)
新村の居酒屋で、おでん、焼き鳥、豆腐キムチ、わかさぎの天婦羅を肴に、熱燗を差しつ差されつ。
豆腐キムチを含めて全ての料理が「なんだかなあ」だったんだけど、同行の韓国人社長いわく「学生たちを相手にしている店だから量優先のこれでいいんだ」
◆ 2月20日(月)
ジムに新規加入希望の太男(30代後半?)がやってきた。
「酒は飲みますか」と訊くジムのをぢ。「ええ、少しづつ」「少しづつってことは毎日飲むということでしょ?」
お客さんより店側がえらそうにしているサービス業は色々ありますが、スポーツジムはその最たるもの?
◆ 2月19日(日)
光化門などで「黄禹錫教授を救おう!」という趣旨の集会を開いている人たちがいまだにいる。
「なんか可哀想になりますよねえ」「あの人たちは黄教授からお金をもらって動いているという話があるんですよ」
あれ、そうだとすると多少理解しやすい話になる。
◆ 2月15日(水)
最近、私の周りでは「一人示威(デモ)」がちょっとした流行語になっていて、「約束を破ったらお前の家の前で一人示威をするからな」などのように言ったりしている。
自分を映画俳優にするわけだから言ってて気持ちがいいし、聞いた方は笑えるってことでしょうか。
◆ 2月13日(月)
うわあ。当然といえば当然なんだけど、子持ちはたはたの店に行ったら子持ちのシーズンは終わっていた。
で、何を食べたかというと、「それならオスのはたはたにしてよ。オスにはタマがついてるよね」と注文したんだけど、さあて出てきたのはオス/メスのどちらだったのか。
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◆ 2月12日(日)
「ウチの姉貴は海女だった。日本によく行って日本の海でも仕事をしていたみたいだ」と済州島出身のをぢ。
「それは日本のどこの海?」「それは知らない」「そんな誰でも日本に行って勝手に海女の仕事が出来るもんなのかなぁ」「とにかく日本には済州島の人間が多いってことさ」
◆ 2月9日(木)
教保文庫の日本書籍売り場に行ったら横山光輝の「伊賀の影丸」を売っていた → 「馬鹿じゃねえの」と思いつつ買ってしまった、というのがいつもの展開なんだけど、今回それは無し。
教保はいつ行っても人多すぎ。いくら韓国人は本を読まないといっても、ソウルは本屋が少なすぎ。
◆ 2月7日(火)
今朝は起きたら雪が数センチ積もっていたのだが、雪に吸い取られたためか、これっていうニュースはなかった。
そのため、私の頭の中では今日のニュースのうち70%は「紀子さまのご懐妊」、30%が「民主党前代表の岡田氏が紀子さまのことを『のりこさま』と言う」になっている。
◆ 2月3日(金)
朝8時ごろ道を歩いていた時、あまりに寒くて気持ちが悪くなってしまった。耳も痛くてたまらないし。
給湯室で「今日は寒いでしょ」と言ったら、「今日わぁ」と言い始めたので、その瞬間、「今日わぁ、この冬ぅ、一番寒いんだってよ」という全部のセリフがヨメてしまいましたよ。
◆ 2月2日(木)
白南準(ナムジュンパイク)が亡くなったことは昨日(?)の朝のラジオニュースで知りました。
私が彼の作品に出会ったのは1980年代半ばだったか…。3年ぐらい前に市庁の近くで展示会があった時、私は「何十年も同じパターンでよくやるよな」と思いましたよ。